邦画専門

雑感。

『累-かさね-』 人類観測史上最長虚構

公式サイト(http://kasane-movie.jp/sp/index.html)

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フィクションがある。アニメでも特撮でもドラマでもなんでもいいが、それらは全て虚構である。虚構というものは現実ではないというただ一点において、現実の中でしか生きることのできない人々を魅了し、惹き付ける。

天才的な演技力を持つ淵累は、ある事件で顔に深い傷を負ってしまい、舞台上で演じることが困難になってしまった。一方、絶世の美貌を誇る丹沢ニナは、演技力に伸び悩み、舞台女優としてのスランプに直面していた。二人は羽生田という男に引き合わされ、キスをすると顔が入れ替わる口紅を使うことで、累はニナの顔で舞台上で演じられる悦びを、ニナは累の演技で名声が上がる悦びを得るはずだったのだが、ある現場で累は、烏合零太という演出家に出会い、彼の物事の本質を見通す眼差しに惹かれていく。しかしニナもまた、彼に以前から恋をしていたのであった。累が烏合に惚れていることを察知したニナは、日頃累に優しく接することで心の隙を作り、まんまと烏合と過ごす一夜を累から奪うこととなる。しかしニナはその後、持病の発作で5ヶ月間の昏睡状態に陥ってしまう。累はかつて烏合の一件でニナに騙され、出し抜かれたことから、今度は昏睡中のニナを介抱することで、口紅をすり替えたことを目覚めたニナに悟らせず、ニナの人生を完全に乗っ取ることに成功する。

累はニナの顔を奪い、人生を乗っ取った。しかし、この物語の本質はそこではない。累がニナの人生を奪うのと同時に、淵累として生きていく一切を放棄し、虚構そのものになったということこそ、今作の肝にあたるところだ。

累は母親や想い人、家だけでなく、自身が長年抱き続けた劣等感さえ放棄した。ただ一つ彼女に残ったのは、口紅を使って12時間で元に戻ってしまう自分の顔だけ。

劇中での"サロメ"のラストシーンで、累の演じるサロメは、ヨカナーンの首を抱くのだが、あれは奪ったニナの顔を愛でるようにしているのではなく、顔以外の一切を放棄した累自身を、死んで顔以外の情報がなくなったヨカナーンに重ね合わせ、愛でているのだ。

舞台袖で淵透世の幻影が差し伸べた手を無視し、サロメの舞台へと出ていく累。しかしその道こそ、淵透世が通った道なのだ。冒頭の墓参りのシーン。淵透世も他人の顔を奪って生きていたのだから、あの13回忌は本質的には淵透世のものではないということになる。しかし法事に集まった人の数は、遺族のみで行われるのが通例である13回忌とは思えないほど多い。死ぬことすらも虚構。死んでもなお虚構であり続け、現実の中で生きる人々を惹きつける。

この世でただ一人虚構の中を生き、人々を魅了し続ける尊い存在、それが『累』。

 

天才的な演技力を誇るという設定を見事に振り切った演者の素晴らしさ。

透世の真実が明かされてからはどこかSFチックのような感じもして、群像劇には留まらないおかしさがこの脚本にはあった。

総じて素晴らしい。

以上。