邦画専門

雑感。

『BLEACH』 アニメ的とは

公式サイト(http://wwws.warnerbros.co.jp/bleach-movie/sp/)

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出会い、好敵手、戦闘、勝利、見飽きた少年誌の王道エッセンスも2時間に凝縮すれば味わい深くなるものだ。更に今作は、黒崎家→教室→屋上→高架下や境内(非日常)→また黒崎家のように、内容にあわせた場所の変化で各シークエンスが構成されており、非常に見易くなっている。

 

しかし公開前はファンからの批判が相当数あり、名作ということで他の実写化作品より悪目立ちもした。紛うことなき"傑作"なのだが。

 

そうなった原因はやはりキャストのビジュアルにあると思う。かくいう私もキービジュアル公開の段階では"失敗"の2文字が脳裏をよぎった。しかし実際に見て分かったのだがこのキャスティング、おそらくは見た目より声に重きを置いている。"声音"というより"声質"と言った方が近い。恋次の「ルキア」、ルキアの「バカもの」という台詞が特にアニメ的で良い。この声に重きを置いたキャスティングのおかげでビジュアルにはさほど違和感を抱かずに鑑賞できる。オープニング、エンディング、エンドロールで3回キャスティングを見せるだけのことはある。(まじで3回見せられる)

 

映像の方も、大技を打ち合う、刀を重ねる、会話や思考で状況を整理する原作やアニメと違い、早く、鋭く、連続的で情報量が多く、とても見応えがあった。実写版るろ剣BLEACH版という表現の仕方は割とあっていると自分では思う。

 

また個人的に印象的だったシーンが、ルキア白哉に跪くシーン。スカートを着用し、跪いているルキアをカメラは正面から捉えているのだが、スカートが巧く両足の間にたるむことで、なんとパンティーが、見えないのだ。R-17指定アニメでよく見受けられるこの演出が実写で見られるとは大収穫だ俺はこれに1800円出せる。

一護vs白哉が終わった直後なので是非とも観測して欲しい。

 

最後になるが、実写版『BLEACH』面白かった。やはり映像作品は"見ないと"分からないものだ。これは実写化作品に限ったことではないが、公開前から批判をすると、好評だった際に赤っ恥をかくことになるのでなるべく控えるのが丸い。

以上。

 

原作ファンの期待に応えるべく実写化の範疇で頑張ることを私は"アニメ的"と呼んでいます。今作では千本桜景厳、月牙天衝等は見られず、とてもアニメ的で良かったです。

 

『空飛ぶタイヤ』 三者三様

公式サイト(http://soratobu-movie.jp/sp/)

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大筋の感想を書く前に先ず、伝えたい。

深田恭子のおっぱいは、エロい。

この作品、小池栄子という爆乳女芸人も出演しているのだが、小池栄子小池栄子なんか全く気にならないくらい、深田恭子深田恭子は性的でエロいのだ。横縞ニットを着せた監督に感謝。これに私は1000円出せる。

その他演者について語るとすれば、画像の通り、豪華の一言に尽きる(主題歌を担当するサザンオールスターズ含め)。

以下、感想。

言ってしまえば今作は、中小企業が財閥という大企業相手に立ち向かった過程とその顛末を描いたものだ。特に巧いと思ったのが、運送会社、自動車メーカー、銀行それぞれの反乱因子である3人が財閥に対し三者三様の抗い方を見せたことだ。運送会社の反乱因子は足を使って情報をかき集め、自動車メーカーの反乱因子は財閥内部のPCにアクセスすることで情報を盗みだし、銀行は融資を遅らせることで情報が効果的に機能するのを待った。無敵の大企業相手に一手では絶対に勝てない。グーチョキパーを揃えて初めて無敵に打ち勝つ可能性が出てくるのだ。ラストシーン、全ての始まりの場所で盟友が袂を分かつ終結の演出は、たいへん見応えがあった。

演出について語れば、探り合いのシーンでカメラが限界まで顔に寄ることで映し出される視線の動き、清々しい青空によってかえって高まる窮地の絶望指数など、良い脚本に良い演出が施され、非常に高い水準の映像作品となっている。

最後になるが、今作で"組織の動き"という濁流から抜け出した主要な反乱因子3人の社会的地位は、運送会社社長、自動車メーカー販売部課長、銀行本店営業本部という決して低くはないものだった。つまり、間違っていることを間違っていると指摘して良い結果を得るには、相応の地位が必要なのだと現実を突きつけられた感じもしていて、辛抱強く生きていこうと思うのであった。

現実に即した場面設定で逆境に屈しない強い人間が描写されていることで、実際に現在を生きる我々に活力を与えてくれることは池井戸作品が愛される理由の一つだと思うのだが、私は今作を見て上記のような感想を抱いたので、今作は原作を完璧に映像へ昇華した作品といえなくもない(自信ない)。

以上。

 

『アイドル論』西野七瀬 文春砲を受けて

私は乃木坂46が好きだ。推しは各期それぞれ西野七瀬鈴木絢音梅澤美波。そして今回の文春砲は私にとってもスルーできるものではなかった。なぜなら、私は西野七瀬が大好きだから。

様々なスレ、公式Twitterへのリプ、乃木ヲタ達のツイートを徘徊して思うところがあったので以下に述べる。

元来"アイドル(idol)"とは、"偶像"の意。偶像とは、崇拝の対象とされるものだ(偶像崇拝)。なぜ彼女らがアイドルとよばれるに至ったか。それは彼女らが、神仏にかたどった偶像と同程度に尊い存在であるからに相違ない。

また、アイドルとは"成長過程をファンと共有し存在そのものの魅力で活躍する人物"と記述されることもある。日本の芸能界における「アイドル」に該当するのがこれだろう。例えば、キリストの成長過程が出生から天啓に至るまで記述されたのと同様に、仏陀の成長過程が出生から悟りの境地に達するまで記述されたのと同様に、デビューから7年間ファンの期待に応え続けたアイドル(乃木坂46一期生)は最早成熟し切っており、神仏に近しく神秘的であると言っても過言ではない。

ならば我々一般人はアイドルに対し、信用、信頼、よりどころとすることはあれど、アイドルの活動を制限したり、異論を唱えるなどは最大限控えるようにというのが私の意見だ。

しかしフォトブック公式Twitterへのリプを見れば、セクハラともとれるような暴言ばかり。少し検索をかければ崇拝を止めるなど、数々の身勝手な言動が見られ、私は「ファン層の意識の低下」を認識せざるを得なかった。これでは、我々に7年間トキメキを与え続けることで、我々の人生を潤してくれた西野七瀬への恩義に対し、仇で返しているようなものではないか。

それとは別に、この様な事態になった原因は、「会いに行けるアイドル」、「今会えるアイドル」の登場にあるとも考えられる。神仏の背中を追いかけていたはずが、神仏(アイドル)の方が我々と同じ姿形をしてファンの方へ寄り添ってきてくれたことで、我々は神仏と一般人とを混同してしまった。手が届く距離に降りてきてくれたことで、抱いてはいけない独占欲が芽生えてしまい、スキャンダルに対して過剰に反応するようになってしまった。つまるところ"調子に乗ってしまった"のだ。

しかし乃木坂46は、「今会えるアイドル」、「会いに行けるアイドル」の枠組みのどちらにも当てはまらない。焦がれても届かぬ、正に"偶像"そのものであるということに注意してほしい。神仏のしたことは神仏が望んでしたことであって、たかだかファンの分際で、その行いに口出し、ましてやこれからの神仏の活動を妨害するような行動、言動をとることはたいへん畏れ多いことであり、それこそ間違いであると言える。

アイドルを本当に縛りつけているのは文春でも何でもなく、我々ファンの存在であることに早く気づくべきなのだ。

こんな記事一本でファンの意識が劇的に変わることなど到底あり得ないと思うが、私は言わずにはいられない。本当に西野七瀬を、乃木坂46のことを愛しているのであれば、我々は西野七瀬の前途幸福をひたすらに願うものであり、いたずらに西野七瀬を穢さないことこそ肝要である。

以上。

 

『狐狼の血』 絶対的復讐とは

公式サイト(http://www.korou.jp/sp/)

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“血湧き肉躍る、男たち渇望の映画“が誕生した。
 昭和63年。暴力団対策法成立直前の広島の架空都市・呉原を舞台に、刑事、やくざ、そして女が、それぞれの正義と矜持を胸に、生き残りを賭けて戦う生き様を描いた映画『孤狼の血』。決して地上波では許されない暴力描写とエロス、耳にこびりつく怒号と銃声。観る者は生々しいまでの欲望にあぶられ、心は必ず火傷する。『警察小説×仁義なき戦い』と評される同名原作を映画化した本作は、昨今コンプライアンスを過度に重視する日本の映像業界と現代社会に対する新たなる挑戦であり、数々の【衝撃作】を世に送り出してきた東映が放つ【超衝撃作】である。

広島県警呉原東署 刑事二課主任 大上章吾巡査部長は、大層な遊び人であり、クラブやキャバクラに入り浸り、警察でありながらヤクザから賄賂を受け取り、捜査のために必要とあらば、窃盗、放火、拷問も厭わない違法にして無法な人物であった。作中では「広島仁正会」と「小谷組」の対立が戦争に発展するのを防ぐべく奔走するが、大上の違法捜査に目をつぶっていられなくなった広島県警本庁は新人である日岡秀一を内偵として送り込む。呉原東署に異動になった日岡秀一は、おそらく(明確な描写はないが)本庁からの圧力もあり、大上のパートナーとして共に捜査をすることを命じられるが、大上の度を超えた違法捜査についていけず、肉体的にも精神的にも限界の状態であった。

しかし違法捜査は目の当たりにしたのだから、後はこれを本庁へ報告すれば内偵としての職務は全うしたことになり、大上は良くて謹慎、悪ければ逮捕という状況に追い込まれ、パートナーは解消され、本庁へ戻れる可能性もある。当然日岡はそうする。しかし違法捜査の証言、ヤクザとの会話の録音などのこれ以上ない物的証拠を提出しても一向に大上は処分されることがない。

そもそも大上はなぜ警察でありながらヤクザと繋がりなど持てるのか。「大上の頭の中にはヤクザを壊滅にすら追い込むことの出来る情報があるのだ」と、古くから大上を知る者はそう言う。本庁上層部の話でも「大上はヤクザを壊滅させるだけの情報を書き留めた一冊のノートを所有している」とされており、日岡はそのノートの回収を命じられる。

時を同じくして、いよいよ広島仁正会と小谷組の対立が戦争に発展しようとしていた。大上はシマを荒らす広島仁正会の連中にしびれを切らし、抗争をしかけようとする小谷組との交渉の結果、3日間の猶予をもらったが、広島仁正会の行動が大人しくなることはなかった。それでも大上は必死に働きかけ、なんとか抗争を食い止めようとするも、しつこく交渉してくる大上に嫌気がさした広島仁正会によって殺されてしまう。

しかしこの事態を予測していた大上は、行きつけのクラブ「梨子」のママである高木里佳子に例のノートを渡していた。「俺が死んだらそのノートは日岡に渡すように」という大上の遺言に従って、ノートは里佳子から日岡へと渡る。しかしそのノートに書かれていたことはヤクザの弱みなどではなく、広島県警全員分の不祥事をまとめたものであった。日岡は「ヤクザを止められるのはヤクザと太いパイプのある大上しかいない。大上は身内の不祥事を盾とすることによって違法捜査の処分を免れてきた」という真実を里佳子から聞かされ、警察上層部はヤクザの情報欲しさではなく、保身のためにノートを手に入れようとしていたこと、大上の今までの悪辣な行動の裏にはカタギの人々を思いやる確かな正義があった事実を知り、大上が亡くなる原因となった小谷組、広島仁正会に対し、復讐を決意する。

その復讐の内容が凄まじかった。

大上と捜査を共にしてきた日岡には、広島仁正会全日本祖国救済同盟代表の瀧井銀次、小谷組若頭、一之瀬守孝との若干の繋がりがあった。狙うのは広島仁正会が参加する祝賀会。会長である五十子正平がトイレに行くと会場にいる瀧井に合図を出させ、外に待機させておいた一之瀬と共謀し、五十子の元に案内し、殺させる。ヤクザの間には会長や若頭といった重要ポストにいる人間が逮捕されぬよう、立場が下の者が自首することで上の者は罪を免れるというシステムがあるのだが、日岡はそれを逆手に取り、殺人を終え、トイレから出てきた一之瀬をその場にいた小谷組の面々共々呉原東署総掛かりで現行犯逮捕する。こうして会長である五十子と組長代行(小谷組組長は服役している)を務めていた一之瀬が捕まったことで両組織は統率がなくなり、解散を余儀なくされた。大上が3日の猶予で食い止めることのできなかった抗争を、日岡はわずか1日で終結させてみせたのである。

これぞ報復を呼ばない絶対的な復讐である。

しかし組織壊滅のためとは言え、ヤクザと共謀することを計画の一端に盛り込んだ作戦を呉原東署がそう簡単に承認するとは思えない。おそらく日岡は使ったのだ。大上が暴いた広島県警の不祥事の情報を。

大上が積み重ねてきたことを復讐の機転に組み込んだことで、大上の存在は偉大であったと証明するような日岡の行動は、亡き大上への餞のようで美しかった。

警察でありながらヤクザと癒着し、警察でありながら身内の不祥事を暴く。警察にヤクザ、どちらにも居場所がない故に"狐狼"。傍から見ればその行動は「悪」そのもの。しかしその思想が「正義」足るからこそ、"血"は次代へ脈々と受け継がれる。正義は悪なり得、悪もまた正義なり得る。

以上。

 

『ラプラスの魔女』 全能足り得ぬからこそ〜

公式サイト(http://www.laplace-movie.jp/sp/index.html)

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もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。

ラプラスの自著における『ラプラスの悪魔』の定説である。つまり、世界に存在する全ての原子の位置と運動量を知ることができるような知性が存在すると仮定すれば、その存在は、古典物理学を用いれば、これらの原子の時間発展を計算することができるだろうから、その先の世界がどのようになるかを完全に知ることができる、ということだ。この架空の究極概念をラプラス自身は単に「知性」と呼んだが、エミール・デュ・ポワ=レーモンが「ラプラスの霊」と呼び、その後広く伝わっていく内に『ラプラスの悪魔』という名前が定着することとなった。物語の中では、未だ解明されていないナヴィエ・ストークス方程式の解が『ラプラスの悪魔』の中にあるとされており、乱流(竜巻、ダウンバースト等)の性質を記述することが信じられている。コンピュータが実現した現在でも、全原子の位置、運動量を計測できたとして、1秒先の事象を予測しようとしても、1秒先の事象を予測するのに1秒以上かかったとして未来を知ったことにはならず、ラプラスの悪魔のような知性は科学的に見れば実現不可能とされることもある。

アイザック・ニュートン、ルネ・デカルトでさえも神を考慮しつつ自説を組み立てており、この作品は、その手に余るまさに神の如き力を手に入れた2人の悪魔の"復讐"と"救済"の物語であるといえる。

父である甘粕才生の身勝手な殺人動機により、最愛の母と娘を亡くした甘粕謙人は、その事件の巻き添えで植物状態になってしまう。しかし植物状態から回復する可能性のある一つの施術を受け、状態は元の身体環境となんら遜色ない程度まで回復していた。ただ一つ違ったのは『ラプラスの悪魔』に目醒めたという点だ。しかも彼は昏睡の傍ら、実の父である甘粕才正こそが、水城義郎、那須野五郎と共謀し、母と娘の殺害に及んだ事実を知り、復讐を決意する。

開明大学病院の脳神経外科医師である羽原全太朗の娘、羽原円華は10歳の時に竜巻に遭い、最愛の母を亡くす。時を経て、開明大学で研究対象とされていた『ラプラスの悪魔』を持つ甘粕謙人の存在を知る。もし自分がこの知性を手に入れられれば、竜巻の発生予測も可能になり、母のような無惨な事故には二度と遭わずに済むとして、罪悪感からの救済を求め、甘粕謙人が『ラプラスの悪魔』を手に入れるきっかけとなった施術を父から受け、その知性に目醒める。

この物語の真に悪魔的な部分は、甘粕才正の持つ独善欲による殺人ではなく、全く同じ知性を持った人間同士でも、知性への至り方一つ違うだけで全く異なる事象の捉え方、行動を起こすという点だ。例えば甘粕謙人と羽原円華がみた"月虹"。これを見た者には亡くなった人間が橋を渡り祝福を与えに訪れるという言い伝えがあるらしいが、片や純粋に救済の時に思いを馳せ、片や父とその共謀者に対する復讐心を燃やしている。どれだけ卓越した知性を持とうとも、人間の腹の底を推し量ることは難しく、行動を100%予測することは適わず、何気なく触れ合っている身近な人間でも犯罪に手を染める可能性があるということ、持て余す力なら使わない方が賢明であるということだ。

しかしその一方で、人間は時に予測さえも上回る力が備わっているということでもある。『ラプラスの悪魔』を持ってしても難しいとされていた乱流の発生予測さえも可能になり、ダウンバーストによって建物が倒壊するのを利用して父と共に死ぬことで復讐を終えようとした甘粕謙人に、ダウンバーストによって吹き飛ばされる車で建物に穴を開け、内部気圧を上昇させることで倒壊を防いだ羽原円華の行動が予測できなかったように、我々人間には、計算や理論だけでは決して予測できない奇跡をおこせるだけの力があることの示唆を見落としてはならない。 以上。

 

『名探偵コナン ゼロの執行人』 メスとロマンとガンダムと

公式サイト(http://d-conan.jp/movie22)

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かっこよすぎて泣いてしまった。感動するところなんか1カットもないはずなのに。全て"安室透"という男の仕業だ。

色々な内容すっとばしてラストシーンだけ語る。

秒速10km以上で警視庁に落下してくるカプセルにピンポイントで爆弾をあわせ(この時点で何を言ってるのかわからない)、軌道をずらしました。しかし今度は住民の避難地に落下しそうです。至急、現場に急行してもう一度軌道をずらして下さい。

これが今回のミッションだ。しかしミッション達成には困難が付き物。以下、コナン達の前に生じた障害と対応をまとめた。

 

Q. 一刻も早く現場へ到着したい安室とコナン。しかし道路は大渋滞で迂回路もない。どうする?

A. 180kmオーバーの片輪走行でセンターラインを突っ切る。

 

Q. ショートカットのためにモノレールの上を走りたい(何を言ってるのかわからない)。しかし前方からモノレールが迫ってくる。どうする?

A. これも180kmオーバーの片輪走行でモノレールの側面を伝ってすれ違う("モノ"レールなのに)。

 

既に色々おかしいが、実はピークはここではない。

 

Q. 落下してくるカプセルの軌道をずらし、かつ死んではならない。どうする?

A. 建造中のビルからRX-7でフライハイ。秒速10kmの物体にピンポイントでサッカーボールを蹴り当てた後、ビルのガラスに銃弾を撃ち込んで着地のクッション代わりにする(何を言ってるかわかry)。

 

個人的にはフライハイ前の安室透がピーク。

コナン「(頼む、間に合ってくれ、蘭.....!)」

  安室  「愛の力は偉大だな」

コナン「そういえば安室さんって、彼女いるの?」

  安室  「一僕の(ハンドル握りしめる)、恋人は(シフトレバー握りしめる)、(不敵な笑みを浮かべ)この国さ」(♪メインテーマ)

このカメラワークと流れが神神神。観客全員を一瞬のうちにメスにする。こればっかりは観ないとわからない。

"安室透"という名前の由来は、担当声優の古谷徹古谷徹が担当した機動戦士ガンダムの主人公である"アムロ・レイ"からきているのだが、ビルから飛び立つ旧車で純白のRX-7は完全に機動戦士だったので、青山先生も本望ではなかっただろうか。

事件解決後の会話にも震えた。

コナン「待って、まだ謎は解けてないよ。どうしておじさん(毛利小五郎)を巻き込んだの?」

  安室  「...彼を巻き込めば、必然的に君は僕の協力者になる。そうすれば、君の本気の力が借りられるだろう?」

劇中でさんざんコナンのことを「凄いな」だとか「恐ろしい」だとか評しておいて、コナンにそうするよう仕向けたのは全部、安室透だったのですね.....。




というわけで序盤から終盤まで安室無双の今作。刺激の欲しい方やメスになりたい方は是非劇場に足を運んでみて下さい。 以上。

 

『リズと青い鳥』 協和音と不協和音

公式サイト(http://liz-bluebird.com)

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中学時代、ひとりぼっちだったみぞれに希美が声をかけてくれた時から、みぞれにとって希美は世界そのものだった。高校三年生、2人で出る最後のコンクール、自由曲は『リズと青い鳥』。

両親を亡くし、ひとりぼっちだったリズは、青い髪の少女と出会う。少女と幸せな日々を送っていたリズは、ある日、少女が青い鳥に姿を変えるのを見てしまい、その正体を知ることとなる。少女を空に帰せば、孤独な生活に逆戻り。幸せだった日常は消えてしまう。しかしリズは、少女の幸せを考え、自らの手で幸せな日々を終わらせることを決断する。

 

童話をもとに作られたこの曲には、オーボエとフルートが掛け合うソロパートがあり、みぞれはこの物語に自分を重ね合わせた。ひとりぼっちだった私に希美が声をかけてくれた。それからの日々は幸せだった。みぞれがリズで、希美が青い鳥。「物語はハッピーエンドがいいよ」と肯定的に物語を捉える希美とは対照的に、ずっとずっとそばにいて、と希美をカゴの中に閉じ込めようとするみぞれは、少女を空に帰したリズの気持ちが理解出来ず、曲の解釈に苦悩していた。

苦悩する理由は。

それを語るには、みぞれと同じオーボエ担当である剣崎梨々花との会話を想起していただくのが手っ取り早い。

「先輩はリード(オーボエの発音体)、自作してるんですねぇ。私にもできますかね?」

「今度教える」

希美が世界そのものであり、他のことには興味関心を示さなかったみぞれが、特別親しくもない後輩にリードの作り方を自発的に教える。これは少しおかしなことだ。

そして、高坂麗奈の「先輩、希美先輩と相性悪くないですか。多分、希美先輩の演奏を信用しきれていないから」(うろ覚えなのは許して欲しい)という言葉。

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みぞれは、希美とは絶対に離れまいと独善的になるあまり、希美の気持ちに寄り添うことをしていなかった。だから希美の気持ちが欠落したみぞれの世界に、剣崎梨々花という存在が滑りこんできたのだ。f:id:hanazawaproject:20180422031407j:image

そんなみぞれに麗奈は『リズと青い鳥』のソロをトランペットとユーフォで演奏することで訴えかける。見事な協和音。演奏後、これを聞いていた吉川優子が「強気なリズって感じだった。高坂らしいね」と評するように、高坂麗奈には、リズの気持ちの解釈が出来ていることがわかる。

ますます苦悩が絶えないみぞれ。そんなみぞれを救ったのは、外部指導者である新山聡美の一言だった。

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「じゃあ、青い鳥のことはどう思う?」

「青い鳥は(飛び立つことを)拒めるはずがない。リズの気持ちを踏みにじることになるから」(うろ覚えなのはまじで許して欲しい)

リズの気持ちの理解にはさんざん苦しんだにも関わらず、青い鳥の気持ちを問われると、すらすらと出てくるみぞれ。みぞれはリズではなく、青い鳥の立場にあった。そう考えると、みぞれがリズの気持ちを理解できないのも合点がいき、冒頭の、希美がみぞれに青い羽を渡すシーンもするりと飲み込める。希美は中学時代にみぞれを吹奏楽部に勧誘したことで、みぞれの中に眠る吹奏楽の才能を開花させる機会、"翼"を与えたのだ。

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みぞれは、希美がくれた翼を無駄にするわけにはいかないとして、全体練習での『リズと青い鳥』第三楽章の演奏に繋がるわけだが、演奏を聞いた希美の心中は穏やかではなかった。自分とは比べ物にならないほどの圧倒的な才能を目の当たりにし、絶望する。言いたくもない皮肉をみぞれにぶつけ、醜い本心を吐露してしまう。しかし、それでもみぞれは自分のことを、好きだ、愛していると言ってくれる。希美も愛してるゲーム(?)のルールに則って言葉を探すが、最初に浮かんできた言葉は「みぞれのオーボエが好き」だった。無意識的に発したその言葉は、無意識だからこそ、混じり気のない自分の本心であることに気づく。みぞれのソロを完璧に支え、自分が認めるオーボエの才能を世に解き放ってあげることが、リズである希美の愛の形。

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それからの2人の日常はガラリと変わる。図書室で借りる本は楽譜と参考書になり、向かう先は図書室と音楽室。今までは希美の後を追いかけていたみぞれだが、別れ、反対方向へ進む。

それは決して決裂ではない。

「「本番頑張ろうね」」

演奏前の希美からみぞれへの一方的な投げかけだった"頑張ろう"が、下校中、初めて揃う。

それは、久美子と麗奈の奏でた協和音のように、緑輝と葉月のハッピーアイスクリームように、長い長い時を経て、確かな2人になっていく。

joint.

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聲の形』のスタッフらしいとても綿密で丁寧な人物描写。シーン、いや、カット一つ一つに意味がこめられていて、とても濃密な時間を堪能させてくれました。個人的には、図書委員の女の子がみぞれに向かって「あの、鍵閉めるんですけど」と言うカット、女の子の目が「尚」の字になっていたので、十中八九山田監督が描かれたと思うんですけど、アニメーションに対して真摯に向き合いながらも、少し悪戯っぽくて楽しそうな山田尚子が見え隠れしていたようでたいへん好みです。図書委員の子のカットは3回あったと思うのですけど、他2回は普通の目にすることで山田監督の演出をたてて下さっているので、ファンとしてはこの演出に名前がついて欲しいところです。

それから、やはり音響にも触れておかなければなりませんね。開始5分足らず、希美を待つみぞれの制服とアスファルトの階段が擦れる音に鳥肌。その後のBGMにあわせた希美とみぞれの小気味良い足音も楽しかったですね。演奏中の息遣いからも人物の持つ"迷い"や"決意"といった感情が伝わってきてエモーショナルでした。そこまでやるか、といった感じ。戦慄の域です。

ラストの"下校中"というのはとても重要な状態で、本作の学校という舞台は、進路希望調査で2羽の鳥を縛りつける檻として機能していたように思います。だから、物語は終始校内でしか展開されないし、唯一の下校シーンであるラストは、学校という檻から2羽の鳥が解き放たれるとして、とても重要なシーンなのです。このことだけ文中に組み込めなかったので、ここに記しておきます。

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リズと青い鳥』、とてもとても素晴らしい作品でした。本当に劇場でしか拾えない音が無数にありますので、公開中の観賞をお勧めします。 以上です。